独創的でありながら読谷山焼の原点
1970年 | 島袋常孝氏(当時 琉球大学美術工芸所所長)のもとで、大城清純、徳里政宜氏とともに、具志川市上江洲にて『倒炎式薪併用窯』開窯 |
1975年 | 読谷村字座喜味にて陶芸研究所 開窯 |
1980年 | 読谷山共同登り窯 開窯(一基九連房) |
1983年 | 読谷山共同登り窯4人展(沖縄タイムホール) |
琉球の焼き物は、600年ほど前から中国や朝鮮、日本、東南アジアの影響を受けました。そして、琉球独自の色彩やカタチを形成し発展してきました。
甕、鉢、徳利、碗。皿、壺、香炉、花立、蓋物、祭器などあらゆる生活用器が生み出され、逞しく力強い造型が見所です。技法においても、染付、三彩、流、釘彫、象嵌、貼付、飛び鉋、刷毛目などがあり、模様は自由自在です。
この読谷山地域は、喜名土、長浜土、山田土、仲泊土、前兼久土、喜瀬土など多種な胎土にめぐまれ、また南方渡来の技法による無釉の焼き締、喜名焼(琉球南蛮)が焼かれていたところでもあります。
読谷山窯は、1980年開窯、4窯元が共同システムによる大窯を主軸に施釉物(せゆうぶつ)の上焼と無釉物の荒焼、南方系の土器などを焼いています。
写真で見せる読谷山焼きの誕生
あなたもジンドゥーで無料ホームページを。 無料新規登録は https://jp.jimdo.com から